| いろんなこと ３ 春摘み紅茶 「美味しい」 僕がそう言うとマリィがうれしそうに顔を上げる。 「やっぱり？ 新しい焼き型使ってみたの……。て、まだ食べてないじゃん」 マリィは少し頬をふくらませて貝殻の形のマドレーヌを指差す。 「美味しいよ、この紅茶」 「いつもと同じ茶葉だけど」 「うん、いつものように美味しい。さわやかな香り、フルーティーな味わい……」 「マドレーヌはどう？ 食べてみて」 マリィが期待した目で僕をじっと見る。僕はマドレーヌをかじる。 「うん、普通に美味しい」 「それだけ？」 「うーん……」 「いいよもう……」 そう言ってマリィもマドレーヌをかじる。 「確かに普通……」 マリィはがっかりしてうなだれる。 「だけどこの紅茶は普通じゃない。ものすごく美味しい」 「紅茶なんて誰が淹れても同じだもん……」 頬杖をついてマリィは紅茶をすする。たいへん行儀が悪い。 「そんなことはない。マリィの淹れる紅茶は僕が今までに飲んだどの紅茶よりも美味しい」 「ふぅん……」 マリィは興味なさそうにうなずく。そしてマドレーヌをパクパクと食べる。 「マリィ、マドレーヌもう3個目だけど……」 「えっ、わたしいつのまに3個も……。また太っちゃう」 「そんなに気にするほどでもないだろ」 僕がそう言うとマリィはハッとした顔で僕を見た。 「それって……、そんなに気にするほどではないけれど、太っているということよね」 真剣な顔で、声で、マリィは言う。 「まあ……、やせてはいないな」 僕がそう答えると、マリィはショックを受けた様子だった。 なにかまずいことを言ったのだろうか……。フォローしなければ。 「マリィはケーキ屋さんなんだから、ちょっとぽっちゃりしてるぐらいのほうがきっと感じがいいよ」 僕は失敗したみたいだ。マリィは悲しそうな顔をしてうつむいた。 「やっぱりわたしぽっちゃりしてるんだ……」 なんて言えば正解なんだろう。僕にはこの問題に解答する自信がない。だけど、黙っていても事態は悪化するばかりだろう。それぐらいは僕にだってわかる。とにかく何か言わないといけない。 「……マリィは僕のことが好きなんだろう？」 僕がそう言うと、少し不思議そうな顔をしてマリィは僕の顔を見る。僕は続ける。 「いや、好きなはずだ。僕にはわかる。そして僕はマリィのことをとてもかわいいと思っている。もうちょっとぐらい太ったって全然かわいいだろうと思う。だから気にすることはない」 それを聞いてマリィはちょっと首をかしげる。そしてちょっと恥ずかしそうににっこりと笑って言う。 「なんかよくわかんないけどうれしい」 こんなにはっきり言っているのに何がわからないんだろう。 まあでもなんとか機嫌はなおったようだ。 「ねぇ、こっちでいっしょにデパ地下スイーツランキングでも見ない？」 僕は雑誌のページをめくりながら、シンクで洗い物をしているマリィに声をかけた。 「茶渋ついたらイヤだから先に洗っちゃう。ちょっと待ってね」 振り返り微笑んでマリィはそう答える。そして鼻歌まじりに食器を洗う。マリィは綺麗好きなのだ。 僕はベッドに寝転がり、マリィの後ろ姿を眺める。 僕に会いたいと神様にお祈りしてくれる女の子。 濃く淹れた紅茶のような色のまっすぐな髪、白く美しいやわらかな肌。 部屋はいつ来ても完璧に片付けられていて、紅茶を淹れるのが天才的に上手で、素直でかわいくて……。 食器を洗う水音が心地いい。僕はいいにおいのする枕に顔をうずめた。 「……寝ちゃった？」 「……ん」 そっと声をかけられてゆっくりと目を開く。 マリィの髪が窓から降り注ぐ太陽の光に淡く透けてキラキラと揺れる。 さっき淹れてくれたファーストフラッシュの淡い水色のように。 そういえばあのすっきりとさわやかで素直な味わいはまるで彼女自身のよう……、そうか。 「マリィ、君はもしかして……、紅茶の精なのか？」 僕がそう言うと、マリィはしばらくぽかんとして僕の顔をみつめる。そして少し首をかしげて答える。 「ちょっと笑いどころがよくわからないんだけど……」 「別に冗談を言ったわけじゃない」 マリィは首をかしげたまま僕の顔をじっと見る。そして楽しそうに笑い出した。 「あははっ……、よくわかんないけどおもしろい」 冗談を言ったわけじゃないって言ったのに。 「わたし、ミシェルのそういうとこ好き」 そう言ってマリィは僕の唇にキスして、ちょっと恥ずかしそうにうつむいた。 僕もマリィの身体を抱き寄せて唇にそっとキスした。 なんて幸せなんだろう。 僕は紅茶の精と愛し合っている。 次のいろんなこと 前のいろんなこと 冬の夕空 index 小説 index HOME written by nano 2008/03/27 |