いろんなこと
  1 アフタヌーンティー
 
 公園の入り口で、私はいらだっていた。
「今度の日曜日、暖かくなるから公園でピクニックしよう。お弁当作ってきてくれるよね、マリィ」
 ミシェルが……、ミシェルが、そう言ったから……。
 焼き菓子を焼いて、サンドイッチを作って、魔法瓶に紅茶を入れてきたのに。
 ちょっと重かったけど持ってきたのに。
 公園の入り口で12時に待ち合わせね、って言ったのに。
 いま公園の時計は13時を指そうとしている。
 ミシェルが言ったとおり、今日は天気がすごくよくて冬にしては暖かいけれど……。
 1時間も外でじっとしてると寒い!
 もう帰ろう……。家に帰ってサンドイッチもお菓子も全部ひとりで食べてやるっ。
 気分転換に図書館で「世界のお菓子・写真集」でも眺めよう。
 私は公園のすぐ隣にある図書館に向かった。図書館でなんとなく書棚全体を見渡す。
 するとそこに……、ミシェルがいた!
 ミシェルは立ったまま書棚にもたれ本を読んでいた。私はミシェルの前に立った。彼は気づかないようだ。
「……ミシェル」
 私が声をかけると彼は顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「マリィ、こんなところでめずらしいね。何か本を探しにきたの?」
 ここが図書館でなかったら私はどなっていたかもしれない。
「ミシェル、何か忘れてない?」
「え? 僕が? 待ち合わせのことならもちろん覚えているよ。12時に……」
 ミシェルは壁にかかった時計を見上げた。13時を回っている。
「あ……。いや、違うんだ。忘れたわけじゃない。時間が過ぎていたことに気づかなかっただけだ」
「そういうのを忘れたっていうんだと思うけど!」
「違うよ。忘れるわけない。ちゃんと覚えてた。だけど……」
 私はミシェルの言い訳を聞かずに、黙ってその場から立ち去った。早足で図書館を出る。
「待って! その荷物、お弁当作ってきてくれたんだね。重いだろ? 持つよ」
 ミシェルが私を追いかけてきた。私はお弁当の入ったバスケットをしっかりと両手で抱えて答える。
「わたしひとりで全部食べるの。ミシェルにはあげない」
「そんな……。ごめん、本当にごめん。本を読んでたらつい時間がたったことに気づかなくて」
「……そんなにおもしろい本なの? どんな本を読んでいたの?」
「おもしろいというか……、地球温暖化に関する本を読んでたんだ」
 はぁ? 地球温暖化を気にしてるの? 悪魔が?
 ぽかんとしている私にミシェルは続ける。
「マリィは地球温暖化についてどう思う?」
「……どう思うって言われても。よく知らないっていうか、興味ないっていうか」
「それはよくないな。もうすでに知らないとか興味ないとかですまされる段階ではないんだよ。ひとりひとりが今できることをやっていかないといけない」
 私はイラッとした。
「言ってることは正しいんだろうけど……、わたしは今そんな筋違いのお説教聞きたくない気分なの」
「筋違いってことはないよ。君たちは地球に生まれ、地球に育てられたのだろう? もう少しいろいろ考えてみたほうが……。あれ? マリィ?」
 私は再び黙ってその場から立ち去った。私を追いかけてきてミシェルは言った。
「ごめん! 僕が悪かった! 今日はマリィの言うことを何でも聞く。どこか行きたいとこない? 遊園地とか? あ、デパートで何か買ってあげようか? 服とかチョコレートとか……」
 私は考えてみた。どこか行きたいところ……。そういえば。
「そういえばミシェルってどこに住んでるの?」
「え? このすぐ近くだけど」
「わたしミシェルのおうちに行ってみたい」
 私がそう言うとミシェルはちょっと困ったような表情をした。
「それはちょっとマズイな……。絶対に部屋に女を連れ込まない、とレオンに約束させたのは僕だからな……」
「レオンといっしょに住んでるの?」
「うん。だって部屋を借りる契約とかレオンにやってもらわないと難しいし……。あ、でも大丈夫。レオン、今日は昼からでかけるって言ってたから」
「え、いいの? でも、もし帰ってきたら……」
「大丈夫だよ。レオンはいつも夜遅くか朝近くまで帰ってこないから」
 へぇ……。あ、もしかして。
「ねぇ、もしかしてレオンって吸血鬼なの?」
 私がそう言うと、ミシェルはきょとんした顔をした。
「……え?」
「だって夜な夜な出歩いてるんでしょ?」
「吸血鬼なら昼間からでかけないだろ。ていうか吸血鬼なんているわけないし……。マリィって本当に子どもみたいだな。あははは」
 ミシェルはそう言っておもしろそうに笑った。でも悪魔はいるんでしょ……。
「だってこないだミシェル言ってたじゃん……。吸血鬼に狙われないですむ、とか……」
「あれは、だから……。吸血鬼が処女の生き血を……。やめよう。うけなかった冗談の説明するなんて」
「え? 処女の生き血が? どういうこと?」
「……だからもういいって」
「あ、処女でなくなったから。もう狙われなくてすむって? ……微妙」
「……荷物持つよ。重いだろ?」
 そう言ってミシェルはお弁当の入ったバスケットを持ってくれた。
「ありがとう。でもお弁当はあげないけどね」
「……」

「おじゃまします……」
「大丈夫。レオン、やっぱり出かけてるから」
 ミシェルは少し楽しそうに小声でそう言った。私もなんとなくこっそりと玄関をくぐる。
 新しくてきれいなマンションの広い部屋。全体的に物は少ないけど、リビングにはちゃんとしたテーブルセットがある。そして奥に二つ、扉が並んでいる。
「あっちはレオンの部屋。僕の部屋はこっち」
 そう言ってミシェルは片方の扉を開ける。
 ベッドと机と椅子がひとつずつ。机の上にはノートパソコンと本が何冊か置いてあるだけ。
「何もないね」
「引越しが多いから」
 次はいつ引っ越すのかな……。私はちょっとだけ寂しくなった。
「寒いし、座るとこないからこっちおいで」
 ミシェルに声をかけられてベッドのほうに行くと、枕元にきれいな空の表紙の本が置いてあるのが目に入った。
「これなあに?」
「空の写真集だよ。眠れないときに眺めるんだ」
「私も写真集って好き。きれいな写真見ると嫌なこと忘れるよね。今日も図書館にお菓子の写真集を見にいこうと思ってたの」
 私がそう言うと、ミシェルはちょっと心配そうに私の顔をのぞきこんで言った。
「なにか嫌なことがあったの?」
 えっと、それは……。
「待ち合わせの相手が来なくて」
「……ごめんなさい」
 ミシェルはそう言って少ししゅんとした。私は本当はもう怒ってないけど。
「ね、見てもいい?」
 私がそう言うとミシェルはにっこりと笑った。
「うん、いっしょに見よう」
 私たちはベッドに寝転がって空の写真を眺めた。
「わぁ、きれい。ねぇ、どうして空って青いのかなぁ」
 私がなんとなくそう言うと、ミシェルはなぜかうれしそうに答える。
「それはね、青い光の波長が短いからだよ」
 ……意味がわからない。まあいいや。
「へぇー、そうなんだ」
 そう言って私が次のページをめくろうとすると、ミシェルはその手を押さえた。
「ちょっと待って。今の説明で本当にわかったの?」
「え? えっと……、なんとなく?」
「なんとなくじゃダメ。あのね、太陽からの光がね、大気中の分子や微粒子にぶつかって……」
 ミシェルは空がなぜ青いかを、ていねいに説明してくれた。
 でも聞いてもよくわかんないし……。別に本当にどうして空が青いか知りたかったわけじゃないし……。
 私はこっそりと次のページをめくる。
 夜空に七色の光のカーテンが降り注ぐ幻想的な風景。
「あ、これってなんだっけ?」
 私がそう言うとミシェルはその写真に目を落とす。
「オーロラだよ。見たことある?」
「え? テレビでなら……」
 私がそう答えるとミシェルはまたうれしそうな顔になる。
 ……もしかして私また変なスイッチ押しちゃった?
「だよね。普通見たことないよね。でも僕は見たことあるんだ。本物を、生で! 修学旅行で南極大陸に行ったときね……」
 修学旅行? 南極大陸? 
 きょとんとしている私を気にせずミシェルは続ける。
「ていうか普通南極なんてなかなか行けないもんね。僕も一回しか行ったことないし。それに南極に行ったからって必ず見れるってわけじゃないんだよ。それなのにたまたま行ったときに見たんだ! すごくない?」
「すごいね……」
 その後、10分以上オーロラを見たときの自慢話。
「で、そのときにね……。あっ、痛っ……」
 ん? 私いまちょっと寝てたかも。
「どうしたの?」
「紙で切っちゃった。ほら」
 そう言ってミシェルは手を広げて私に見せた。人差し指に少し血がにじんでいる。赤いんだ……。
「痛い?」
 私がそう聞くと彼は心細そうにうなずいた。ちょっと紙で切ったぐらいで……、かわいい。
「治療して」
 彼は少し甘えるようにそう言って、手を差し出した。
 え? 治療? ……こうかな?
 私は彼の指を口に含み傷口をそっと舐めた。血の味が少しした。私とおなじ……。
 口を離すと彼は手を広げてにっこりと笑って言った。
「治った」
 私もうれしくなってニコッと微笑んだ。
「僕もしてあげる」
 そう言って彼は私の手をとる。
「え? わたしどこも切ってないよ」
「遠慮しないで」
 彼は私の指を口に含む。そして舌で指先をゆっくりと舐める。
 恥ずかしいけど……、ちょっと気持ちいい。
 第一関節の辺りを唇で挟み、上下されると声が出そうになった。
「んっ、もういいよ。なんか恥ずかしい……」
 彼は唇を離し、ちょっとえっちな目をして微笑み、私を抱き寄せる。
「じゃあ、もっと恥ずかしいことしよう」
 そう言って彼は私の唇にキスする。そして舌を差し入れて、ゆっくりと動かす。私のセーターをたくし上げる。
「やだ……、レオン帰ってくるかもしれないし……」
「大丈夫だよ。帰ってこないって」
 そう言いながら彼は首筋に舌をはわせる。ブラの隙間に手を入れる。
「でもぉ……」
 と言いながら、私も彼に身をまかせようとしたとき……。
 玄関のほうから扉の開く音がした。
 私たちの動きが止まる。
「……帰ってきた?」
 私が小声でそう言うと、彼はあわてて言う。
「息止めてっ、息っ」
 レオンはキョンシーなの?
「ただいまぁ」
 扉のすぐ向こうでレオンの声がした。
「……ばれてる?」
 ミシェルが扉のほうを見て言う。
「玄関に靴あるから……」
 私がそう言うとミシェルは納得したようだ。
「そうか……。ならしかたない。さりげない感じで言い訳しよう」

「レオン、帰ってたんだ」
 リビングにいたレオンにミシェルが愛想よく声をかける。
「べつに。忘れ物取りに来ただけ」
 レオンはそっけなく答える。
「こんにちは。お邪魔してます」
 ミシェルの後ろから私がそう言うと、レオンはにっこりと微笑む。
「あ、あのね、レオン。彼女に本を貸す約束をしてて……。だから僕たちもちょっと寄っただけなんだ。ね?」
 そう言ってミシェルは私に同意を求める。私はうなずく。
 だけど私が貸してもらうような本あったっけ?
 レオンはちょっと笑って言う。
「……へぇ。地球温暖化の本かなにか?」
 借りないよね……。
 レオンは自分の頬をこするしぐさをしながら言う。
「ミシェル、ここ。口紅ついてるぞ」
「えっ」
 あわてて自分の頬に手をあてるミシェルに向かってレオンは言う。
「ばーか」
 今日、私口紅つけてないし……。
「まあ、べつに。俺はもう出るし。今夜は帰ってこない予定だから。どうぞごゆっくり」
 そう言ってレオンはミシェルの手をとり、何かを握らせて、玄関から出て行った。
「……まずかったかなぁ」
 私がミシェルのほうを見ると、彼は楽しそうに笑い出した。そして手を広げて見せる。
「これ」
 ミシェルの手にはコンドームがのせられていた。
 私は顔が熱くなった。
「……意味わかんない」
「あはは……」
 男同士ってこういうものなの?
 本当、意味わかんない。
「ねぇ、なんかおなかすいてきちゃった。お弁当食べよっか」
 私がそう言うと、ミシェルはうれしそうに私の顔を見る。
「いいの?」
「うん、せっかく作ってきたし」

 私たちはリビングのテーブルでお弁当を広げた。
 サンドイッチと焼き菓子と紅茶。時計は15時を指そうとしている。
「お昼ごはんのつもりだったのに、アフタヌーンティーになっちゃった」
 私がそう言うと、ミシェルはにっこりと微笑んで言う。
「なんでもいいんだ」
 私もにっこりと微笑む。
 私もおなじ。ミシェルがいればなんでもいい。
 魔法瓶に入れた紅茶はまだ温かかった。
 いまのこの気持ちも暖かいまま、ずっとしまっておきたいな……。
「魔法瓶ってどんな魔法がかかってるのかな……」
 私がなんとなくそう言うと、ミシェルは少し何かを考えるような表情をする。そしてにっこりと微笑んで話し出す。
「それはね、容器を二重構造にして、さらにその間を真空にすることで、熱の移動を……」
 あぁ、またやっちゃった……。

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written by nano 2008/03/13

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