冬の夕空
  記憶の扉 後編
 
 僕たちの祖先はアトランティス大陸に暮らしていた。地球の変動により人が暮らしていくことがしばらくできなくなることがわかり、僕たちは宇宙へ居住を移した。僕たちは地球を捨てたわけではなかったが、地球に再び人が住めるようになったとき、アトランティス大陸には人が住むことは困難だった。なので僕たちは地球を神とし、そのまま宇宙で暮らし続けた。

 僕は10歳のときに特殊魔術学校に入学した。特殊魔術学校は地球を模したコロニーで、わりと地球の近くにある。僕が生まれたのはもっと地球から遠く離れたコロニーだ。僕はそこの科学館で地球の素晴らしさを知り、地球に行くことを熱望した。だけど僕のような庶民が地球に行くとなると、手段はひとつしか思い当たらなかった。それは特殊魔術学校を卒業することだ。特殊魔術学校を卒業すると悪魔として地球に降りることになる。魔術により人の願いをかなえ、地上をより善き世界にする。そして有事の際には魔術をもって地球のために戦う。つまり僕たちは神を守る軍隊なのだ。
 僕の母は僕が特殊魔術学校に入ることに反対した。おまえの性格で軍人になるのは無理だと言った。だけどいまは戦争なんて時代じゃないからと子どもの僕は懸命に説得した。なんとか納得して送り出してくれたわけだが、本当は僕が母のことを、家族のことを忘れてしまうのが嫌だったのかもしれない。特殊魔術学校に入って最初にすることは、魔術により自分の名前を忘れること。そしてそれまでの10年間の記憶を忘れることだからだ。
 だけど、なぜか僕は忘れなかった。僕には優しい父と母と、兄と姉が一人ずついた。生まれたときにもらった名前も覚えているが、その名は口にすべきではないだろう。なぜ忘れなかったのかは僕にはわからない。僕には見たものをすべて記憶する能力がもとからあった。しかしそんなものが魔術に関係するとも思えないが……、まあとにかく覚えていたわけだ。そして僕には魔術の才能だけはあった。性格的に、人間的に多少問題はあったが、友人に恵まれ無事学校を卒業することができた。そして僕は地球にやってきたんだ。

「へぇ……」
 マリィは僕の話を聞いて、そう感想を述べた。
 そして自分の左手の指輪をじっと見た。
「ミシェルが何も忘れないなら……、わたしはずっとここにいられるね」
 そう言って彼女は微笑んだ。僕も微笑んでうなずいた。
「たましいは何に使うの?」
「たましいなんてないよ」
「えぇ? そういう約束するんじゃないの?」
「あれは単なる意思確認だ」
「へぇ……。あ、じゃあどうしてわたしのたましいいらないって言ったの?」
 マリィは少しすねたように僕に言った。
「そんなことよく覚えているな……」
「ミシェルだって覚えているんでしょ?」
「それは、まあ……。僕にはマリィの願いごとをかなえる自信がなかったからだ」
「わたしの願いごと……」
 そう言って彼女はそっと目を伏せた。そして顔を上げてにっこりと笑った。
「わたしの願いごと、かなったよ」

 部屋の外は少し薄暗くなってきた。透明な冬の夕空がひろがっている。
「冬のこの時間の空、好きだって言ってたよね」
 僕はマリィに言った。
「え? わたし? そんなこと言ったっけ?」
「言ったんだよ」
 僕は笑って言った。マリィも笑った。暗くなるにつれ、僕は眠くなってきた。
「なんだか眠くなってきたな……」
「寝てもいいよ」
「離れたくないんだ……」
 僕はマリィを抱きしめた。
「ずっといっしょでしょ?」
 マリィは僕の左手の指輪にふれた。
「うん……」
 僕はうなずいた。
「いっしょに眠ろう」
 そう言ってマリィは僕の手をひいてベッドに連れて行った。
 ベッドの中で僕たちはキスをした。
「僕のこと好き?」
「知っているくせに」
「聞きたい」
 僕がそう言うと、マリィは僕の目をみつめて微笑んだ。そして言った。
「好き。すごく好き」
「ありがとう」
 僕はマリィをそっと抱きしめた。彼女の身体はとてもあたたかかった。
「地球を守ってね」
 そう言ってマリィは少し笑った。
「うん」
 僕はうなずいた。そしてゆっくりと目を閉じた……。

 僕は自分の部屋で目を覚ました。
 僕は夢の中のことを全部覚えていた。彼女のあたたかい身体の感触はまだ腕の中にあるようだった。だけどここはもうマリィのいない世界なのだ。僕の目から涙がこぼれた。夢の中のことはとてもリアルだったけど、しょせん僕の頭の中で都合よく作られたものだ。僕は泣き続けた。自分の腕をぎゅっと握った。そして気が付いた。僕の左手の薬指には赤い石のついた指輪がはめられていた。

 朝、僕はリビングに出た。レオンは新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。レオンは僕の顔をちらっと見た。
「早起きだな」
 そう言ってすぐに新聞に目を落とす。
「レオン。昨日、ごめん……。僕……」
「ん? なんのこと?」
 レオンは新聞のほうを見たままそう言った。
「ありがとう」
 僕がそう言うと、レオンはにっこりと微笑んだ。
「あ、もう出なきゃ。約束があるんだ。コーヒーあまったから飲んでいいぞ」
 そう言いながらレオンは出かけていった。
 
 僕は一人でコーヒーを飲んだ。ときどき左手をひろげて薬指の指輪を眺めた。
 地球を守って、と彼女は言った。
 大好きだった地球、大好きな彼女が生まれ育った地球。
 僕は地球を守るために、今日は少しだけ仕事をしよう。

end.
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written by nano 2008/02/20

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