love scene 前編
 
「ユウちゃん、こっちこっち」
 駅の改札口を抜けると、手を振っているナオが目に入った。
 相変わらず背が高いからすぐにみつかる。
「ナオ、また背伸びた?」
「どうかな? 最近測ってないけど」
 そう言ってナオはにっこりと笑った。子どものときから変わらない、優しくて少し頼りない笑顔。
 背はこんなに大きくなったのに。

 ナオは私の幼なじみ。子どもの頃からテレビを観ていっしょに歌ったり、アニメやドラマのセリフを真似するのが大好きで、テレビに出る人になりたいってずっと言っていた。
 オーディションにいくつか応募してたのは知ってたけど、本当に中学卒業と同時に「俳優になる!」って一人で東京に引越して行ったのはびっくりしたなぁ。
 ナオはときどきメールや電話をくれたけど、普通に地元の高校に進学した私からしたらテレビや雑誌で見るナオはすごく遠くに行ってしまったような気がした。
 でも実際会うとやっぱりナオはナオなんだ。私はちょっとうれしくなった。

 駅から5分ほど歩くと、ナオの部屋があるマンションに着いた。
「わぁ、広い。それにすっごく片付いてるね」
「高校のときは寮だったから、やっと一人暮らしできて張り切ってるんだ」
「いいなぁ。わたしもこれぐらいの部屋に住めたらなぁ」
 私は自分の狭いワンルームマンションを思い出した。これぐらいの広さがあればもうちょっと片付くのになぁ、たぶん。
「今度、ユウちゃんの部屋にも行っていい?」
 ちょっと甘えるような目でナオは私の顔をのぞく。
「ん……、まあそのうちね。まだ引越してきたばかりで片付いてないから」
 私がちょっと考えてそう答えると、ナオはちょっと残念そうな顔をした。
「そっかぁ、大学の一年生って忙しいんでしょ?」
「そんなでもないよ。水曜は午前だけだし。バイトでもしようかな」
「バイトかぁ。なんか大学生って感じだね。俺もそろそろ大学生の役とかあるかもしれないし、いろいろ教えてね」
「うん、もちろん。ナオも大学とか行きたかった?」
「ううん、俺もともと勉強とか好きじゃないし……。やっと高校卒業して思いっきり仕事できるようになってうれしいんだ」
 ナオは満面の笑みでそう答えた。何の迷いもないような。
 単純なナオのことだから、テレビに出たいってだけで俳優になったと私は思ってたんだけど。
 なんだか急にナオが大人になったような気がした。
「なんかうらやましいなぁ。同い年なのに自分のやりたい仕事を思い切りやるんだって言い切れるなんて」
 私がそう言うと、ナオは少し照れくさそうに笑った。
「ユウちゃんはどんな仕事したいの?」
「うーん。まだはっきりと決まってないというか、わかんないというか……」
 そう答えながら私はちょっと自分が恥ずかしくなった。
「そっか。でもユウちゃんなら何にでもなれるよ。頭いいもん」
「それは……、ナオに比べたら、ね」
 私がそう言って笑うと、ナオも楽しそうに笑った。
 ナオは勉強が苦手で私がよく勉強を教えてあげたけど、ナオの成績はあんまり上がらなかったなぁ。私、先生には向いてないかも。
「ナオは最近どう? 仕事どんな感じなの?」
「今はドラマの仕事がないからそんなに忙しくないけど……、あの、そういえばね」
 ナオはそこまで言ってちょっと気まずそうにうつむいた。
「え、なになに?」
 私がナオの顔をのぞくと、ナオはちょっと恥ずかしそうに続けた。
「今度映画の仕事があるんだけど……」
「へぇ、すごいじゃん。どんな映画?」
「え……、あ、普通の……、恋愛もの? それでね」
「うん」
「その映画のなかでラブシーンがあるんだ」
「ラブシーンってキスシーンとか?」
「うん……、キスシーンとか、もうちょっと」
「へぇ……」
 私はなぜかちょっとだけ複雑な気持ちになった。嫉妬ってわけでもないと思うんだけど……。
「それでね……」
 ナオは恥ずかしそうにうつむいたまま話を続ける。
「俺、そういう経験ないから……。あの、ユウちゃん、俺とちょっと……、してみてくれない?」
 私はしばらくナオの顔をじっと見て、何を言われたのか考えた。
「えーっ! キスシーンの練習を私とするってこと?」
「うん……。ダメ?」 
 ナオは私の目をじっとのぞきこんだ。あらためてナオに見つめられると少しドキッとした。
「ダメというか……。私も経験ないし、私は役者じゃないんだからそういうのは好きな人とじゃないと無理だよ」
 私がそう答えると、ナオは急に悲しそうな表情をした。
「ユウちゃんは……、俺のこと好きじゃないの?」
「えぇ? いや、その好きっていうのはそういうんじゃなくてさ……」
 なんて言ったらいいのか言葉につまっていると、ナオが先に話し出した。
「俺たち3年も付き合ってるのに……、まだキスもダメ?」
 その言葉に私は心の底からびっくりした。
「えっ!?」
 私がびっくりして声を上げると、ナオもちょっとびっくりしたように顔を上げて言った。
「え? 何?」
「付き合ってるって……、私とナオが?」
「え? うん」
「いつから?」
「3年? 中学卒業したときだから……」
「え、えぇー?」
 よくわからなくて私がただびっくりしていると、ナオも不思議そうに言った。
「え? なんで? ちがうの? だってユウちゃん、卒業式のとき、俺の第2ボタンもらってくれたじゃん」
「……それだけ?」
「それだけって……。それってそういうことじゃないの?」
「いや、だって、そんな、だからって……。ずっと、たまにメールしたり電話するだけだったし」
「それは、ユウちゃんが俺のために東京の大学に来てくれるって言うから、あんまり勉強の邪魔とかしちゃダメだと」
「え、えぇぇ……」
 別に私はナオが東京にいるから東京の大学に行こうと思ったわけじゃないんだけど……、たぶん。
 何を言えばいいのかわからなくなって私は少し沈黙した。するとナオが口を開いた。
「あ、えっと……、なんかゴメン……。俺、勘違い? してたみたいで……」
 私はしばらく何も言えず、寂しそうに目をふせるナオをじっと見つめた。
 ナオがそんなふうに思ってたなんて。私はナオのこと、そんなふうには全然……。
 ていうか、ナオは東京行って、テレビとか出るようになって、私とは違う世界に行っちゃったような気がしてて。
 でも、ホントはずっと……。
「わたしもナオのこと好き」
「え……?」
「なんかわたし、ナオが遠くに行っちゃったような気がして、そういうふうに思わないようにしてたけど、でも……」
 私の言葉にナオは顔を上げ、私をじっと見つめた。
「ホントに?」
「うん……」
 急に恥ずかしくなってうつむいた私を、ナオはそっと抱き寄せた。
 あたたかいナオの身体を感じると、自分の身体も少し熱くなっていく気がする。
「ユウちゃん」
 ナオは私にそっと声をかける。
「うん?」
 私はちょっとだけ上を向く。とてもナオと目を合わせられない。
「キスしてもいい?」
「……いいよ」
 ナオが私の頬に触れる。私はナオの目をそっと見上げた。ナオも私の目をじっと見つめる。
 恥ずかしくて、耐えられなくて目をふせると、唇がそっと合わさる。
 思わず息が止まる。やわらかい……んだなぁ……。
 唇がゆっくりと離れる。はぁ、ちょっと緊張した。
「もう一回いい?」
 うつむいたままでいる私にナオが声をかける。普通聞くかなぁそういうの、と思いながら黙ってうなずく。
 さっきよりちょっと強く唇が合わさる。唇に舌が差し込まれた。
 えっ、そういうんなら先に言ってもらわないと……、って普通言わないか。
 舌は唇よりもずっとやわらかくて、そして熱かった。
 だけど、これどうしよう。私も舌入れるべきかな。でも、どうしよう……。
 考えあぐねているうちに唇が離されたので、ちょっとホッとした。
「どう?」
 ナオがうつむいたままの私に声をかける。
「どう……って?」
 何を聞かれているのかよくわからなくて問い返すと、ナオが首をかしげて答える。
「こんな感じでいいかなぁ?」
「さぁ……」
 そんなこと聞かれてもよくわかんないし……。
「もう一回いい?」
「えぇぇ……」
「ダメ?」
「ダメっていうか……」
 雰囲気なさすぎ、なような。
「そっか」
 ナオが何か納得したようにうなずく。そしてなぜかうれしそうに続ける。
「じゃあ、ベッドシーンの練習しよ」
「はぁ?」
「あっちの部屋にベッドがあるからあっちでしよう」
 そう言ってナオは立ち上がろうとした。私はあわててナオの手をつかむ。
「ちょっ、ちょっと待って。今日?」
「うん、せっかくだし」
「せっかくとか意味わかんないし!」
「ダメ……?」
 ちょっときつい口調になった私に、ナオは寂しそうな表情をした。
 ナオにこういう顔されると、なんかちょっとひどいこと言ってしまったような気になる。
「……だって、さっき初めてキスしたばかりなのに、そんなの無理」
 なぜか言い訳しているような気になる。ナオはちょっと考えてから答える。
「練習するだけだし。ちょっとだけ。ね、お願い」
 甘えるような顔をして、ナオは私をじっと見る。
 なんか子どものときから、こんな感じでいろいろと面倒なことをお願いされていたような気がする。
 私は黙ったまま横を向いた。
「仕事で、演技でやるだけだから関係ないかもしれないけど、俺、初めてのそういうのはユウちゃんとがいい」
 私はナオの顔をそっと見た。ナオはにっこりと笑って私の手を取る。
「行こう」
 そう言って立ち上がり、ベッドの前に連れて来られた。
 なんかやっぱり子どものときからいろいろと変わってないような気がする……。 
 
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written by nano 2008/07/12

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