悪魔に関する短編
 夢と魔法の国
 
 ここは……。
 ひどい頭痛を感じながら青年はゆっくりと目を開けた。
 天井に自分の姿が映っている。栗色の髪にちょっとくすんだ栗色の瞳。顔が疲れているな、男前が台無しだ。
 天井に鏡……、ここはラブホテルか。隣に髪の長い女。まずいな、まったく覚えていない。
 いや、それよりも、もっと緊急に対応しないといけない事態が俺を襲っている。
 彼は勘を頼りに洗面所へと走った。彼は洗面所で胃の中のものを吐いた。便器を抱え涙目になりながら彼は考える。
 二日酔いなんてひさしぶりだ。昨日いったいどこで何を飲んだんだ。思い出せない……。何か考えようとすると頭が痛くなる。
「大丈夫?」
 そう声をかけながら女が背中をさすってくれた。
「……ありがとう。おかげでちょっとラクになった」
 彼は立ち上がり洗面台で顔を洗う。タオルで顔を拭きながら女の顔を正面から見る。
 小柄で細身、そこそこ美人だがあまり印象に残らないタイプだろう。歳は……27か28ぐらいかな。
 しかしやはり昨夜のことは思い出せない。これは本人に聞いてみるしかないだろう。
「あの……、昨日俺は、その……、ちゃんとつけただろうか? コンドームを」
「つけてたけど、飲みすぎてたたないからって……、寝ちゃったじゃない」
「……。じゃあ今からしようか。チェックアウトの時間まで3回くらいできるよ」
 青年は女を抱き寄せようとしたが、女は手で彼の身体を払いのけて言う。
「イヤよ。さっきまで吐いてた人とそんなことしたくない」
「……それもそうかもしれない。じゃあまた今度しよう。電話番号教えたっけ? いちおう名刺渡しておくからさぁ」
 そう言いながら青年は自分の上着のポケットの中を探る。
「そんなことより願いごとを叶えてよ」
 女にそう声をかけられ、青年は思わず動きが止まる。
「なんのこと?」
「あなた悪魔なんでしょ? たましいあげるから願いごとを叶えて」
 青年は少し首をかしげて微笑む。彼なりの天使の微笑みで。
「昨日俺またなんか言った? 酔うと俺、虚言癖が出ちゃって、あはは……」
「証拠もくれたじゃない。ほら」
 そう言って女は黒い羽根を一本差し出した。
 青年はその羽根をじっと見る。覚えていないが確かに自分のものだろう。何やってるんだ、俺は。
「……では願いごとを3つ叶えよう。もう決まってるの?」
 女は軽く深呼吸して微笑み、そして言った。
「私を殺して欲しいの」
 青年も微笑みうなずく。女は話を続ける。
「私、死にたくて……、いろいろ試してみたんだけど実際やってみるとうまくいかなくて。あんまり痛いのとか死体がぼろぼろになるのはイヤだし、だから……」
「なるほど。ラクに確実に美しく死にたい、と」
「そうなの」
 青年の答えに女は顔を輝かせる。
「で、後の2つは?」
「え?」
 青年の問いに女は気の抜けた声を出す。
「3つ叶えるって言っただろ」
「どうせ死ぬんだし……、叶えてもらったってしょうがなくない?」
「簡単だよ。死ぬ前に叶えればいい。だってもったいないだろ?」
 青年はにっこりと微笑む。
「そういうものなの?」
「そういうものだよ。せっかくだから死ぬ前にパーッと遊ぼうよ。どっか行きたい所とかないの?」
 青年は女の顔をのぞきこむ。女はちょっと考えるようなしぐさをしてつぶやく。
「行きたい所かぁ……。でもあんなところ一人でいってもつまんないしなぁ……」
「なに? どこどこ?」
「夢と魔法の国っていうテーマパーク……」
「あーっ! コマーシャルでやってるよね。俺まだ行ったことないけど楽しそうだよね! パークの中にホテルもあって……」
 青年はウキウキした顔で女の顔を見る。
「もしかして……、いっしょに行ってくれるの?」
 女がそう言うと青年はにっこりとうれしそうに笑う。
「それをお願いしてくれるならば」
「じゃ、お願いするわ」
「よし決まった。確認するね。1つめの願い、俺といっしょに。2つめ、夢と魔法の国で遊び。3つめ、ラクに確実に美しく死ぬ、と」
 女はゆっくりとうなずいた。青年は少し改まったふうに女の顔をみつめる。
「じゃ、これは儀式だから。俺の名前はレオンだ。レオンにたましいをあげる、って言って」
 女はじっと彼の目を見る。そしてゆっくりと口を開く。
「レオンにたましいをあげる」
「ありがとう」
 レオンはにっこりとうれしそうに微笑む。
「キミの名前は? 昨日聞いたかもしれないけど忘れちゃった」
「ヨウコよ。昨日言ったけどね」
「なるほど。じゃあ早速ホテルの予約をしよう。やっぱりパーク内のホテルがいいよね。一週間ぐらいでいいかな」
 レオンは携帯を取り出し、サイトにアクセスする。ヨウコが画面をのぞいて言う。
「パークの中のホテルなんて半年ぐらい前から予約しないと取れないよ」
「大丈夫だよ。なんとかなるって。ね?」
 レオンは予約完了の画面を誇らしげに見せる。
「って今夜から?」
「早いほうがいいでしょ。ここから電車一本で行けるし。さ、着替えて」
「一週間泊まるんなら、一回家に帰って旅行の準備しなきゃ」
「向こうで全部買えばいいよ。それも込みだから」
「……込みなんだ」
 ヨウコは軽くシャワーを浴びて身支度をした。洗面所から出てくるとベッドの上に座りレオンが誰かと電話している。
「そう、仕事でさ……、一週間ほどちょっと行ってくるから。本当に仕事だってば。……そんなことぐらい一人でやれよ。ギャーギャー言うなよ。おみやげ買って帰るから」
 電話を切ったレオンがヨウコに気づきにっこりと微笑む。
「いまの電話、……彼女? いいの?」
「女じゃないよ。別に大丈夫。それに本当に仕事だし。あ、俺もシャワー浴びてくるね」
 そう言ってレオンはバスルームへと消えた。
 
 電車に乗り30分、駅の改札を出るとすでにそこは夢と魔法の国だった。
「すげぇ! 城が見える」
 はしゃいだ様子でレオンは声をあげる。
「はいはい、後でお城にも行くから。ていうか、ここに来たかったのって私じゃなかったっけ……? あ、チェックインする前に駅のショッピングモールで着替えとか化粧品とか買って行こう」
 ヨウコは夢と魔法の国のゲートを前にショッピングモールへと向かう。
 レオンがヨウコの手を引っ張って駄々をこねるように言う。
「城はぁ?」
「一週間もいるんだからいつでも行けるでしょ」
「買い物こそいつでもできると思うけどなぁ……」
 ぶつぶつ言いながらヨウコに手をひかれレオンは歩き出す。
 買い物をすませ、ホテルにチェックインするとヨウコは驚いた。そこはパーク全体を見渡せるスイートルームだった。
「こんなすごい部屋を7泊も取れたの?」
「そりゃ……ね、なんでもできるよ」
 そう言ってレオンは少しいたずらっぽく微笑む。
 それもそうかもしれない。だけどヨウコにはいまひとつ実感がわいていなかった。このごく普通の明るい青年が悪魔だということが。
 じっと彼をみつめるヨウコにレオンは軽く微笑み返す。
「下のレストランも7時に予約してあるから」
「へぇ……」
「まだ晩ご飯まで時間あるから何か軽く食べよう。あの城にも行こう」
 レオンはヨウコの手を引いて夢と魔法の国へと繰り出した。

「あれ……勇者の剣、絶対俺のほうが手上げたの早かったのになぁ……」
 城を出てきたレオンが不服そうにつぶやく。
「ああいうのは小さな子どもにゆずるものなのよ」
 ヨウコがレオンの様子を見て楽しそうに笑う。そして、ふと思い出したように尋ねる。
「そう言えば若く見えるけど……、あなた何歳なの?」
「23だよ」
「23……。10万23歳とかじゃなくていいの?」
 ヨウコの問いに不思議そうな顔をしてレオンが問い返す。
「10万? 何それ?」
「ん……、違うんならいいけど。本当に若いのね」
「まー、そうかな。物足りない?」
 少しいたずらっぽくレオンは微笑みかける。
「そんなわけじゃないけど。……私の歳は聞かないの?」
「女性に歳を聞くのは無粋かと思って」
「聞いて欲しいときもあるのよ」
「そうなんだ。まだまだ修行が足りないな、俺も。で、いくつなの」
「28。今年で29になるの」
「へぇー、若く見えるね」
「そんなとってつけたようなこと言わなくていいわよ」
 そう言いながら少しうれしそうにヨウコは微笑んだ。
 
 夜は買ったばかりのドレスを着てホテルのレストランで食事。出てくる料理はどれもこれもとても美味しいし、ワインも最高だった。
 そして目の前には若くてそこそこハンサムな男。
「ステキ」
 ヨウコは少し微笑みつぶやいた。
「俺のこと?」
 レオンはにっこりと微笑み返す。
「ん……。それも含まれてるかな。死ぬ前にこんなにいい思いできるなんて」
「本当だね。このティラミスは超美味い」
「本当ね」
 ヨウコは楽しそうに笑った。

 次の日もテーマパークでたっぷり遊び、レストランで美味しい食事、そして夜はたっぷりとセックスした。その次の日も、次の日も。
「ちょっとタバコ吸っていい?」
 5日目の夜、ベッドの上でヨウコがレオンに声をかけた。
「いいよ。これをあげる」
 レオンに手渡されたものを見てヨウコはちょっと笑う。
「ビタミンCのタブレットか……。もうすぐ死ぬのに肌荒れ気にしてもしょうがなくない?」
 レオンは少し微笑んでヨウコに問い返す。
「ていうか、タバコ吸うんだっけ?」
 タバコの煙をふかし、満足気な表情でヨウコはレオンの問いに答える。
「うん、でもやめてたの。前の男がやめろって言ったから。でもさ、もう別れたんだし。ていうか、もう死ぬんだし……。だいたいバカみたいよね。あんなやつのために……。私の人生はぼろぼろになって……。あんなやつのせいで私が死なないといけないなんて。あいつが死ねばいいのに……」
 タバコの煙をふかしながらヨウコは恨めしそうにつぶやく。
 黙って話を聞いていたレオンがヨウコの横顔にそっと声をかける。
「それは、俺にお願いしてる?」
 ハッとした表情でヨウコはレオンを見る。
「できるの?」
「3つめをまだ実行してないからね」
 レオンはにっこりと微笑む。
「でも……、そうすると私が死ねないし……。でも……、だけど……」
「人殺しと自殺……、どっちがたいへんかなぁ……?」
 ひとり言のようにそうつぶやいたレオンの横顔をヨウコはじっとみつめた。

「死因は心臓麻痺だが、今まで健康体だったなら警察が多少調べるかもしれない。いちおう明日の正午はホテルのレストランで食事しよう。スイートルームに連泊している上客。レストランの従業員たちがアリバイをきちんと証明してくれるだろう。若くてハンサムな新しい男のこともね」 
 ホテルのレストランでランチを終えたヨウコの元に一本の電話がかかってきた。
 電話を終えると晴れやかな笑顔でヨウコはレオンに言った。
「死んだって。私、もう帰るね」
「もう2泊取ってあるのに」
 レオンはちょっとすねたふりをする。ヨウコはそんな彼を見てちょっと微笑む。
「ごめんね。せっかくだからお通夜もお葬式も行きたいし。あ、その前に美容院も行きたいしね」
「そう、じゃあ送ろうか?」
「ううん、あなたとは夢と魔法の国でお別れしたいから……。ありがとう」
 夢と魔法の国の駅の改札口で二人は別れた。
「本当にありがとう。じゃあね、バイバイ」
 ヨウコはレオンに満面の笑顔で手を振った。その手にはさっき売店で買ったタバコとビタミンCのタブレットが握られていた。

 駅は夢と魔法の国を楽しむ家族連れやカップルでにぎやかだった。
 さて……、後2泊。確かにここは一人ではつまらないな。
 レオンは携帯電話を取り出した。
「あ、ミシェル? うん、いま夢と魔法の国にいるんだ。超楽しいからおまえも来いよ」


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written by nano 2008/04/25

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